2022.06.09 ブログ

名前を得るということ

先日のブログエントリー「名前を失うということ」に対して、皆様から予想以上の反響をいただきました。お読みいただいた皆様、励ましのコメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。
今日は、前回の続きとして私の名字について、お話させていただければと思います。


ウイグルでは、子供は父親の下の名前を自分の名字とします。


例えば、前回のブログの登場人物でみると、

•有名なウイグル系女優のディリラバ・ディルムラットさんは、ご自身のお名前がディリラバ、お父様のお名前がディルムラット

•北京冬季オリンピックの開会式で最後に聖火を灯し話題になったウイグル系選手ディルニガル・イルハムジャンさんは、ご自身のお名前がディルニガル、お父様のお名前がイルハムジャンです。


私の家族も同じく、日本に帰化する前は、
•父親の名字は父方の祖父の名前
•母親の名字は母方の祖父の名前
•私の名字は父親の名前
であり、家族全員名字が違いました。

このため、日本に帰化し、日本の戸籍謄本を作成する際に、初めて家族全員同じ名字にすることになりました。


先日お話させていただいた、ウイグル語から漢字表記になり、そこからまたカタカナ化された名前に違和感を持つのとは反対に、初めて日本人として「家族共通の名前(名字)」を得ることは、とても楽しみなことでした。


でもいざ選ぶとなると、かなり大変。日本に既にある名字を選ぶのか、新しい名字を作るのか。三人でいろいろな選択肢を考えたことを覚えています。


議論の末、たまたま父方の曽祖父と、母方の曾祖父の名前が同じエリ(表記はAliですが、ウイグル語ではエリと発音します)だったため、エリを名字とすることになりました。


そして次はカタカナにするか、漢字にするかの選択。家族でたくさん話し合った結果、日本人であることを選んだ家庭として、名字は漢字で表記しよう。但し、自分たちのルーツを表す下の名前は変えずにカタカナで表そう、ということになりました。


名字に両親が選んだ漢字は、「英利」。


中央アジア・シルクロードのルーツを持つ一家なので、騎馬民族を象徴する「英雄」の「英」と、シルクロード時代からの国際的なビジネス文化を象徴する「利」で「英利」としたそうです。


一方、私の下の名前はというと、日本で生まれ、自分を日本人だと思って育ってきた私には、日本語の名前があってもいいのではないかと両親が提案してくれましたが、その時の私の答えは「名前が日本人風でなくても私は日本人。」だったそうなので、そのままカタカナになりました。


英利家は、中国においては選択の権利もなく名前を漢化することを強いられましたが、日本人になるということを選ぶことにより、新しい名前を得るという幸せに恵まれました。


人の尊厳とは、自分が認識している自分のかたち・現実・経験を主張し、周りに受け入れてもらうことです。自分の名前をほぼ強制的に失うことと、好んで自分の名前を選ぶこととでは、天と地の差があります。


日本人になることを選んだ英利家の一員であることほど、私自身が日本で得た人権・アイデンティティー・尊厳を象徴するものはありません。


この一週間、私を取り巻く環境は、目まぐるしく変わりました。全てが新しく、追いついていくことに今でも必死です。最近、そんな私にとって、とても残念だと感じたことがありました。


それは、インターネット上で、日本国籍しか持たず、日銀で日本のために働き、そして日本人として外務省から国連に派遣された私について、「えりアルフィヤは日本人ではない」、「二重国籍かもしれない」など、根拠のないコメントがみられたことです。


このほかにも、日本人として20年以上生きてきた私の家族への誹謗中傷や差別的な投稿も、SNS上で沢山見られました。


言論の自由に恵まれている日本のような国において、匿名かつ無責任なかたちで、人としての尊厳を攻撃するという行為は許されることではなく、日本で与えられている自由への冒涜です。


えりアルフィヤは、日本人が持つ自由、人権、尊厳を守り抜き、全ての日本人が尊重され、安心した生活を送り、輝くことのできる社会を築くために、これからも尽力して参ります。


その活動の一環として、特にインターネットでの差別や誹謗中傷、プライバシー侵害などにもしっかりと取り組んでいきたいと考えています。


これからもえりアルフィヤの挑戦を、応援してください。