えりって何者?

えりアルフィヤプロフィール写真
生年月日
1988年10月(満35歳)
星座
天秤座
長所
誰とでも友達になれる、好奇心が強い
短所
細かすぎるときがある、運動が苦手
言語
日本語(母国語)、英語、中国語、ウイグル語(流暢)、ウズベク語、トルコ語(中級)、アラビア語(初級)
ルーツ
福岡県北九州市に生まれる。両親はウイグル出身でトルコ系(ウイグルとウズベク)。平成11年に家族で日本に帰化(両親が外国籍の場合、日本で生まれても日本国籍が与えられないため両親と同時に帰化)。
生い立ち
小学校5年生のころ、本邦メーカー企業に勤めていた父親の転勤がきっかけで海外生活がスタート。中国(上海、広州)、ウイグル(ウルムチ、イリ)、米国(ワシントンDC、ニューヨーク)、スイス(ジュネーブ)などでの修学・インターンシップ・ボランティア活動などを経て、2012年に帰国し日本銀行に就職。
好きな食べ物
市川の梨、ディズニーランドスイーツ、ドーナツ
趣味
江戸川サイクリング、料理、読書(特に国際関係関連)、コーヒー、音楽、家族や友人とゆっくり過ごすこと
特技
言語(日本語/英語/ウイグル語/中国語/ウズベク語/トルコ語/アラビア語)、料理、ウイグルの踊り
好きなマンガ・ゲーム・アニメ
こち亀、ポケモン、もも鉄、ジブリ(となりのトトロ、天空の城ラピュタ、もののけ姫、千と千尋の神隠し)、君の名は。、名探偵コナン
地元で好きなところ
江戸川沿い、三番瀬、行徳橋、浦安総合公園、ディズニーランド -活動の間に時間が空く際はすぐに本八幡の自宅から江戸川沿いにサイクリングに行きます。江戸川河川敷でスカイツリーを眺めながら政策のインプットや発言案のアウトプットなどを考えるひとときが好きです

経歴

昭和63年10月
福岡県北九州市に生まれる
平成6年3月
北九州市小倉カトリック幼稚園 卒
平成6年4月
北九州市明治学園小学校 入学
平成11年9月
上海アメリカンスクール小学部入学
平成12年8月
広州アメリカンスクール中学部入学(6年生を飛び級)
平成14年8月
広州アメリカンスクール高等学部 進学
平成18年8月
米 ジョージタウン大学外交政策学部 入学
平成22年5月
ジョージタウン大学外交政策学部 国際政治学科 卒 国際生徒・留学生会会長・中央アジア会会長・外交政策学院学術評議会4回生代表、寮長などを務める 大学・大学院在籍中に下記のインターンシップを経験
  • CSIS・戦略国際問題研究所(ワシントン)
  • 国連日本政府代表部(ニューヨーク)
  • WHO(ジュネーブ)
  • 中国シティバンク(上海)
平成24年5月
ジョージタウン大学外交政策大学院 修士課程 (ロシア・東欧・中央ユーラシア研究科) 修了
平成24年7月〜平成28年8月
日本銀行
  • 国際局 IMF 世銀総会準備グループ 国際関係グループ
  • 仙台支店 発券課・業務課・営業課
  • 金融機構局 国際課
    考査企画課(考査員)
平成28年8月
外務省ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)試験合格に伴い日銀退職、国連へ。
平成28年10月〜令和4年5月
国連事務局 本部
  • 国連事務次長・管理局長室 (調整担当官補)
  • 政務局アジア太平洋部 (政務官補)
  • 国連事務次長・安全保安局長室
    国連事務次長補付プログラム担当官
    調整担当官
    国連事務次長補付特別補佐官
令和4年7月
政治活動のために国連退職。
帰国後6週間の政治・選挙活動にチャレンジ。
参議院議員選挙(全国比例)で54,646票をいただくも、惜敗。
令和5年2月
自由民主党千葉県第五選挙区支部長の公募に応募し、合格。
支部長就任
令和5年4月
2ヶ月間の政治・選挙活動に再チャレンジ。
衆議院議員補欠選挙(千葉5区)で50,578票をいただき、初当選。
逆風の中地元のみなさまと自民党の先輩方のご支援・ご指導のもと接戦を制す
衆議院 法務委員会委員・文部科学委員会委員
自由民主党 女性局次長・青年局次長
令和5年9月
千葉5区(市川・浦安)の多様性や新しい時代に向けた政治姿勢が国際的に評価されたことにより、アメリカのニュース誌「TIME」が発表する「次世代を担う世界の100人」に選出
令和5年10月
衆議院
法務委員会委員・財務金融委員会委員・消費者問題に関する特別委員会委員
自由民主党
青年局次長・青年局学生部副部長、女性局次長、広報戦略局次長
財政・金融・証券関係団体副委員長、商工・中小企業関係団体副委員長
幼少期
『セーラームーン』に憧れる。
福岡県北九州市で生まれる。 「女の子はなんでもできる」と時には厳しく育ててくれた両親に感謝。
小学校時代
ゲームボーイにはまる。
好きな科目は国語と社会、嫌いな科目は体育。 アニメとたまごっち、ゲームボーイが大好きで、特に「ポケモン」と「桃鉄」にハマっていた。 北九州のメーカー企業に勤めていた父親の転勤に伴い10歳から海外生活がスタート。 上海アメリカンスクールに転校。
中学校時代
日本とは異なる文化に戸惑う毎日。
広州アメリカンスクールに転校。転校時6年生を飛び級したことで、自分より年上の人たちと同じクラスになり、早く馴染むために人一倍の努力をした。
高校時代
日本人初の生徒会長を務める。
英語が話せるようになり、友人が増えた。両親の実家があるウイグルに行って、子どもたちに英語を教えに行く機会もでき、世界が広がった気がした。 学校では、学生の意見を学校運営に取り入れる方法を提案し、学生投票により校内初の日本人生徒会長になる。
大学・大学院時代
多様性の本質について考える
中国での経験から人と人、文化と文化、富と貧困、平和と戦争の関係をより深く学びたいとの思いが強くなり、 ジョージタウン大学外交政策学部を受験・合格。 初めての米国生活はカルチャーショックばかりで、外交政策学院の 課題の多さと西洋の考えを基盤とした世界への理解に戸惑った。これに問題意識を持ち、現地の声や状況を基盤としたウルムチの消費文化と現代ウイグルアイデンティを考察した論文を執筆。 追加研究を経て平成20年に学会発表され、後に出版される。 この成果にはげまされ同大学外交政策大学院に入学し、学部課程と同時に修士課程でのウイグル研究を進める。
大学・大学院時代
平等で平和な社会の貢献方法を学ぶ。
オルブライト元国務長官のゼミに入る。 自身が留学生としてなじみづらかった経験から、学部二年目よりジョージタウン大学の 国際化・多様化に力をいれる。学生投票により国際生徒・留学生会会長、中央アジア会会長、 外交政策学院学術評議会4回生代表、学生寮の寮長などをつとめ、多様性の可能性を実感する。 また、ワシントンのシンクタンク(CSIS・戦略国際問題研究所)、ニューヨークの国連日本政府代表部、ジュネーブのWHO本部、上海の中国シティバンクなどでインターンシップを経験し、より平等で平和な社会のために貢献する方法はいろいろとあることを学ぶ。
日本銀行時代
金融危機と東日本大震災を受け帰国。
学部卒業前に金融危機が発生。優良企業から内定をもらっていた先輩たちが 次々に内定を取り消され、大学の周りのお店も閉店していく様子を目にし、 金融システムと経済の安定の重要性を実感する。その後、ジュネーブで インターンシップをしているときに東日本大震災が起こる。海外にいながら 自国の震災の状況を追うむなしさと、日本はしっかりと震災に備えていると 思っていた自身の認識の甘さを感じる。 この経験から日本経済の復興と金融システムの安定に貢献したいと思い、 日本銀行に入行・日本に帰国。東日本大震災後の復興状況を追う仙台での 経済調査や地方銀行実地考査などに従事。国際会議や部会へ日本代表としても参画し、日本人の誠実な仕事ぶりがいかに国際社会で 信頼・尊重されているかを実感する。
国連職員時代
日本人として世界平和に貢献。
日本人に期待されているリーダーシップを感じ、長年の夢であった国連に進む道を再度考える。 外務省が若手の日本人を国連に派遣する制度(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー<JPO>) の試験に合格し、日銀退職、国連へ。国連改革、平和・安全保障・人権問題への対応、 ウクライナ緊急危機対応を含む国連オペレーションの安全保安などに携わり、 日本に当たり前のようにある平和と民主主義の尊さを実感する。
国連退職・政治の世界へ
ニューヨークから日本に向かって
国連での経験から、日本は数少ない平和な民主主義国家として恵まれているにもかかわらず、まだ実質的な多様性と国民の声が政治に反映されていないことに危機感をもつ。 また、国連のかかげる平和と安全・持続的な開発・人権というミッションを世界で達成するためには、まずひとつひとつの国が勇気のある政治と外交を実行することが必須だと感じる。 若い日本人の女性として日本の民主主義に率先して参加し、勇気のある政治に向けて活動することを決意し、帰国するために国連を退職。 帰国後6週間の政治・選挙活動にチャレンジ。 参議院議員選挙(全国比例)で54,646票をいただくも、惜敗。
衆議院議員補欠選挙にて初当選
市川・浦安が日本をリードし、 日本が世界をリードする未来へ。
2023年4月に行われた衆議院議員補欠選挙に立候補。市川市・浦安市の皆様からのご支援をいただき、50,578票にて初当選。 衆議院 法務委員会委員・財務金融委員会委員・消費者問題に関する特別委員会委員法務委員として、また自民党 女性局次長・青年局次長・学生部副部長・広報戦略局次長として市川・浦安からより良い日本の未来へ向けて奮闘中。