2022.06.06 ブログ

名前を失うということ

こんにちは。
えり(英利)アルフィヤです。
えりが名字、アルフィヤが名前です。


両親はウイグル出身で平成11年に帰化した日本人。
私も生まれた時は外国籍でしたが、日本で生まれ、日本に育てられた、日本人です。


日本の法律では、日本で生まれても両親が外国人だと外国籍を所有することとなるため、私は両親が帰化した際に一緒に日本国籍を持つこととなりましたが、帰化する前に父親が、「これから家族で日本人になるけど、どう思う?」と聞いてくれた時、「私はずっと日本人だったよ」と答えたそうです。
心ではそう思っていたとしても、日本のパスポートを初めて手にした日の感動は、今でも鮮明に覚えています。


ウイグル人とウズベク人の両親を持ち、子供ながらに言葉や文化も全く違う中国のパスポートを持つことに違和感を持っていた私にとって、自分のアイデンティティーと、社会から与えられるアイデンティティーが、初めて一致した日でした。


自分が認識しているかたちの自分の存在が、初めて認められたと思えた日でした。
子どもの頃から特に違和感を持っていたのが、自分のアイデンティティーの代名詞のような、名前です。


私は生まれた時に、ウイグル語でArfiye(アルフィヤ)と名付けられました。近代ウイグル語は、公式にはアラビア文字で表記されます。 これに加え、最近では、SNS、メール、インターネットなど、デジタルな世界では、ローマ字表記が使われることも増えています。
但し、ウイグル自治区で生まれたウイグル人(そして、私のようにその外で生まれても生まれた国の法律によりその国の国籍とならない場合)は、中国籍となるため、中国語(漢字)で名前を登録しなければなりません。


このため、ウイグル人の名前は漢字表記となり、トルコ語、ウズベク語と同じチュルク語系のウイグル語とは全く違う言語グループである中国語の表記では、本来の名前からかなりかけ離れたものとなってしまいます。


例えば、よくある名前では、Muhammad/Memet(ムハンマド<略してメメット>)は⇒买买提(マイマイティ)、

有名なウイグル系女優のDilraba Dilmurat(ディリラバ・ディルムラット)さんは ⇒迪丽热巴・迪力木拉提(ディリリーバー・ディリムラティ)、

北京冬季オリンピックの開会式で最後に聖火を灯し話題になったウイグル系選手Dilnigar Ilhamjan(ディルニガル・イルハムジャン)さんは、⇒迪妮格尔·衣拉木江(ジニゲル・イラムジャン)だと報道されていました。


そして、私、Arfiye(アルフィヤ)は、 ⇒阿丽菲亚(アリフェヤー) となりました。 生まれた時に「阿丽菲亚」と漢字で登録されたため、日本に帰化した時も、そのまま戸籍の名前はカタカナで「アリフェヤー」となりました。


その後、日本のメーカー企業に勤めていた父親の転勤に伴い、上海・広州での生活が始まりますが、北九州で育ち、母国語の日本語と少しのウイグル語しかできなかった私にとって、中国は完全に外国。


アメリカンスクールに通い、英語を習得するため、勉強を重ねる日々でした。 学校では、「アリフェヤー」をローマ字表記した「Arifueya」を名前とすることになりますが、もはや自分の名前ではない!

アメリカ人だった担任の先生に、拙い英語で本当は「アルフィヤ」なんだと打ち明けると、すぐに学校で使う際には「Arfiya」としてくれました。


「自分の名前なんだから、しっかりと主張していいんだよ」と教えてくれた先生。 本来の名前やアイデンティティーを消す必要は全くなく、自分には自分の呼ばれ方やアイデンティティーを選ぶ権利があるということを、初めて知った瞬間でした。


以後、パスポートは「アリフェヤー(Arifueya)」、学校や職場では個人的には「アルフィヤ(Arfiya)」を使っています。


ウイグルの様に、民族・領土の主権を失くすということは、ひとりひとりの名前さえも正しく表記してもらえない、自分が認識している存在として、尊厳のあるスペースをも与えられないということです。


言葉を変えれば、人間としての尊厳が奪われるということであり、今のウイグルの状況を見ると、その延長線として、言葉にできないほどの悲惨な弾圧と人権侵害が起こっていることが明確です。


だからこそ私は、日本に生まれ、自分を「アルフィヤ」と名乗る尊厳を与えられた日本人として、何よりも先に我が国日本の主権と領土・領空・領海を守り抜くことが大切だと考えています。 次は、名字のお話を少しさせていただきたいと思います。