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プロフィール

PROFILE


生年月日 1988年10月(満34歳)
星座 天秤座
好きな食べ物 ドーナッツ
長所 誰とでも友達になれる、好奇心が強い
短所 細かすぎるときがある、運動が苦手
趣味 ひとり旅(特に電車の旅)、映画・演劇鑑賞(好きな映画:「ララランド」、「万引き家族」)、読書、散歩、ピクニック
言語 日本語(母国語)、英語、中国語、ウイグル語(流暢)、ウズベク語、トルコ語(中級)、アラビア語(初級)
生い立ち 福岡県北九州市生まれ。両親はウイグル自治区出身で、父親はウイグル系日本人、母親はウズベク系日本人。平成11年に家族で日本に帰化。
SNS Twitter @eri_arfiya
instagram @eri_arfiya
facebook えりアルフィヤ
YouTube チャンネル

経歴

HISTORY

昭和63年10月 福岡県北九州市戸畑区に生まれる
平成7年3月 北九州市小倉カトリック幼稚園 卒
平成7年4月 北九州市明治学園小学校 入学
平成11年夏~ 父親の転勤に伴い10歳から中国(上海・広州)で育つ
平成18年6月 広州アメリカンインターナショナルスクール高等学部 卒
生徒会長を務める
平成22年5月 ジョージタウン大学外交政策学部 国際政治学科 卒
国際生徒・留学生会会長・中央アジア会会長・外交政策学院学術評議会4回生代表、寮長などを務める
大学・大学院在籍中に下記のインターンシップを経験

  • CSIS・戦略国際問題研究所(ワシントン)
  • 国連日本政府代表部(ニューヨーク)
  • WHO(ジュネーブ)
  • 中国シティバンク(上海)
平成24年5月 ジョージタウン大学外交政策大学院 修士課程
(ロシア・東欧・中央ユーラシア研究科) 修了
平成24年7月~
平成28年8月
日本銀行

  • 国際局 IMF・世銀総会準備グループ/国際関係グループ
  • 仙台支店 発券課・業務課・営業課
  • 金融機構局
    国際課
    考査企画課 考査員
平成28年8月 外務省ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)試験合格に伴い日銀退職、国連へ。
平成28年10月~
令和4年5月
国連事務局 本部

  • 国連事務次長・管理局長室 調整担当官補
  • 政務局アジア太平洋部 政務官補
  • 国連事務次長・安全保安局長室
    国連事務次長補付プログラム担当官
    調整担当官
    国連事務次長補付特別補佐官
令和5年2月 自由民主党千葉県第5選挙区支部長

これまでの歩み

TIMELINE

福岡県北九州市で生まれる 幼少期

昭和63年10月戸畑区に生まれ、戸畑区わかば保育園、小倉カトリック幼稚園に通う。「女の子もなんでもできる」と時にはきびしく育ててくれた両親に感謝。お父さんっ子だったが、日本で留学生として勉強に励む母親と正義の味方だと思っていたセーラームーンにあこがれていた。


中国で外国語に触れる 小学校時代

明治学園小学校に入学。父親の転勤に伴い、10歳から中国(上海・広州)で育つ。アメリカンスクールに通うことを自分で選び、両親にも支持してもらったものの、当初は英語も中国語もできず北九州に帰りたいと思うばかり。帰宅して毎日2時間ほど英語の勉強をし、なんとか会話ができるようになっていった。


貧富の差と人権に問題意識を持つ
広州での中学校時代

発展とともに目まぐるしく変わっていく広州の風景と、キラキラとしたビルのすぐそばに貧困があることを目にし、「なぜ人間は生まれた場所と境遇がちがうだけでこんなにも生活環境がちがうのか」と問題意識をもつようになる。


やっと英語ができるようになる 高校時代

高校生レベルの会話ができるようになると、日本の歴史認識について多国籍の同級生と議論になることも。いろいろな考え方にふれるなか、自分は日本人であるという意識とその立場をしっかりと自覚・理解し守りながら、日本と世界をつなぎたいという思いが強くなっていく。現地の学校との交流を深めることや、学生を学校の役員としその意見を学校運営にとりいれることを提案し、学生投票により校内初の日本人生徒会長となる。


多様性の本質について考える
大学・大学院時代

中国での経験から人と人、文化と文化、富と貧困、平和と戦争の関係をより深く学びたいとの思いが強くなり、ジョージタウン大学外交政策学部を受験・合格。

初めての米国生活はカルチャーショックばかりで、外交政策学院の課題の多さと西洋の考えを基盤とした世界への理解に戸惑った。
これに問題意識を持ち、現地の声や状況を基盤としたウルムチの消費文化と現代ウイグルアイデンティを考察した論文を執筆。追加研究を経て平成20年に学会発表され、後に出版される。この成果にはげまされ同大学外交政策大学院に入学し、学部課程と同時に修士課程でのウイグル研究を進める。


世界をよりよくするための実務について学ぶ
大学・大学院時代の課外活動

自身が留学生としてなじみづらかった経験から、学部二年目よりジョージタウン大学の国際化・多様化に力をいれる。学生投票により国際生徒・留学生会会長、中央アジア会会長、外交政策学院学術評議会4回生代表、学生寮の寮長などをつとめ、多様性の可能性を実感する。

また、ワシントンのシンクタンク(CSIS・戦略国際問題研究所)、ニューヨークの国連日本政府代表部、ジュネーブのWHO本部、上海の中国シティバンクなどでインターンシップを経験し、より平等で平和な社会のために貢献する方法はいろいろとあることを学ぶ。


金融危機と東日本大震災を受け帰国
日本銀行時代

学部卒業前に金融危機が発生。優良企業から内定をもらっていた先輩たちが次々に内定を取り消され、大学の周りのお店も閉店していく様子を目にし、金融システムと経済の安定の重要性を実感する。その後、ジュネーブでインターンシップをしているときに東日本大震災が起こる。海外にいながら自国の震災の状況を追うむなしさと、日本はしっかりと震災に備えていると思っていた自身の認識の甘さを感じる。

この経験から日本経済の復興と金融システムの安定に貢献したいと思い、日本銀行に入行・日本に帰国。東日本大震災後の復興状況を追う仙台での経済調査や地方銀行実地考査などに従事。国際会議や部会へ日本代表としても参画し、日本人の誠実な仕事ぶりがいかに国際社会で信頼・尊重されているかを実感する。


日本人として世界に向かって 国連職員時代

日本人に期待されているリーダーシップを感じ、長年の夢であった国連に進む道を再度考える。外務省が若手の日本人を国連に派遣する制度(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー<JPO>)の試験に合格し、日銀退職、国連へ。国連改革、平和・安全保障・人権問題への対応、ウクライナ緊急危機対応を含む国連オペレーションの安全保安などに携わり、日本に当たり前のようにある平和と民主主義の尊さを実感する。


ニューヨークから日本に向かって
国連退職・帰国

国連での経験から、日本は数少ない平和な民主主義国家として恵まれているにもかかわらず、まだ実質的な多様性と国民の声が政治に反映されていないことに危機感をもつ。また、国連のかかげる平和と安全・持続的な開発・人権というミッションを世界で達成するためには、まずひとつひとつの国が勇気のある政治と外交を実行することが必須だと感じる。

若い日本人の女性として日本の民主主義に率先して参加し、勇気のある政治に向けて活動することを決意し、帰国するために国連を退職。


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